La hauteur chante ce qu'on parle dans la profondeur

メモとしてのブログ。ルーマニアの詩人たちに関心があります。

トリスタン・ツァラの『雲のハンカチ』Mouchoir de nuages が面白い

気分転換にトリスタン・ツァラの『雲のハンカチ』を読んだ。これはなかなか面白い演劇で、作中に注釈者が登場し各々感想を述べあったり、シェイクスピアの『ハムレット』から引用していたり、色々な思考(あるいはテクスト)が折り重ねられた作品である。

 

ツァラの『雲のハンカチ』について

『雲のハンカチ』は、19245月に上演された。ツァラはその舞台装置について次のように説明する。

舞台は閉じられた空間になっていて、すべての俳優劇の最初から最後までそこから出られないので、舞台の上で化粧をしたり、観客の目の前で変身したり、小道具を出したりする。舞台装置はスライド写真を映写したものだ。註釈者は、古代のコーラスの新版のような存在であり、運命の皮肉な解説者となる。著者の声は、とりわけ、ドラマの「潜在意識」の働きをしていて、俳優によって語られたばかりのこと、あるいは語られなかったことを分析する。

また、ツァラは、この演劇作品については次のように述べている。

『雲のハンカチ』はひとつの詩的作品です。この作品は物、感情、出来事の相関性を上演します。

 

この「相関性」とは何か。これこそ、冒頭で述べた各々の注釈者の感想や、シェイクスピアからの引用などの折り重ねだろう。ツァラ『雲のハンカチ』は、作品それ自体や登場人物の単一的な物語や思考を発するのではなく、もっと脇道にそれるように指示するのである。

 

注釈者の役割

先に、注釈者の感想や『ハムレット』など、様々なテクストが織物のようにひとまとめにされていることは述べた。

 

ここでは 註釈者 commentateurs として予め記述されている。ジェラール・ジュネットを引くと、彼は「あるテクストを、それが語っている他のテクストに結びつける関係」を「註釈」としているが、そうであるとすれば、註釈は参照先として他のテクストを必ず持っていることになる。そうでなければ註釈は他のテクストを語ることはできない。註釈は、あるテクストの外側からでしか他のテクストを語ることはできないのである。もちろん『雲のハンカチ』における註釈も例外ではないだろう。

 

それぞれの幕が終わるごとに、注釈者たちは前の幕について自由に議論し、各々の意見を交換する。たとえば次の引用を見てみよう。

 

A.―― Croyez-vous que Herrand voyage aussi parce qu'il s'ennuyait avec Andrée?

D.―― Moi personnellement, je ne pourrais pas me prononcer.

E.―― Moi non plus.

F.―― Voilà pourquoi cette pièce est mal faite. Quoique nous soyons les commentateurs, c'est-à-dire le subconscient du drame, il ne nous est pas permis de savoir pourquoi le poète n'aime pas Andrée.

A.―― エラン〔詩人〕が一緒に旅に出たのはアンドレ〔銀行家の妻〕に疲れたからだと思いますか?

D.―― 個人的には、意見を述べられませんね。

E.―― 私もできません。

F.―― それがこの劇作の悪いつくりです。我々は注釈者であるけれども、言い換えれば劇の前意識であるのだけれども、なぜ詩人がアンドレを愛していないのかを知ることを許されていないのです。

 

 

彼らが自身を『雲のハンカチ』の「前意識」と形容しているのがツァラ20年代の関心を知るために興味深いが、ひとまず注釈者と各幕の関係がここからわかるというところでとどめておこう。そして、今回確認しなければならないのは第10幕である。この幕は、主人公である詩人がそれまでしていた旅について、登場人物である(詩人の旅に同行した)船長、友人が会話をしている。そこに唐突に注釈者Cが入り込んでくる。

 

C (debout sur la chaise, crie).―― Le Poète en proie à son amour, ou au mirage de son amour, ou à l'image de son amour, ou à l'amour tout court, revient à Paris, et tout en cachant ses idées et ses intentions, convie les époux prodigues à un dîner dans un restaurant chic.

LE CAPITAINE.―― Laissons leur la place.

L'AMI.―― Reprenons notre rôle de commentateurs.

C (椅子の上に立ち、叫ぶ).―― 詩人は愛に襲われて、あるいはの愛の幻影に襲われて、ないし愛のイマージュに襲われて、もしくは愛ただそれだけに襲われて、パリに戻ってきた。考えと意図を全部隠しつつ、浪費家の夫妻をシックなレストランでのディナーに招きますね。

船長.―― 彼らのことはほうっておこう。

友人.―― 我々の役目、注釈者の役割を再開しよう。

 

興味深いのが、「友人」の台詞である。「注釈者の役割を再開しよう」というが、たしかにこの幕で、船長と友人は主人公である詩人の新聞記事=テクストについての意見交換をしている。他のテクストを参照するテクストというレヴェルにおいて、彼らは注釈者たちと同様なのである。しかし、たとえばこの劇作のケースで言えば、「各幕注釈者」という厳密な時間的・空間的な区切りがあり、それはあるテクストと別のテクストは、パラレルではあっても交わることのできないことを表している。しかし、それを破るのが「叫び」であり、注釈者Cは「叫ぶ」ことによって、それまで<読むこと>のために参照することしかできなかった別のテクストに参入し、<書くこと>が可能になったのである。

 

このような<書くこと>と<書くことのために読むこと>の相関を曖昧にすることこそ、この戯曲の妙なのではないだろうか。