La hauteur chante ce qu'on parle dans la profondeur

メモとしてのブログ。ルーマニアの詩人たちに関心があります。

ロザリンド・クラウス「見るインパルス/見させるパルス」のメモ(ハル・フォスター編『視覚論』所収)

ハル・フォスター編『視覚論』を読んだ。原題は Vision and Visuality。その中におさめられているロザリンド・クラウスの論文に関するメモ。

 

 

この論文では、モダニズムの視覚性の否定として、「ビート」、「リズム」、「パルス」(オン/オフの繰り返しによる律動)という概念が提示される。これらは、形態〔=形式〕の統一性そのものを解体し、溶解させてしまう力である。たとえば、20世紀初頭のモダニズムに対抗して現れたさまざまな作品は、まさに「リズム」を用いていた。視覚の自律性という概念の上に視覚芸術を基礎づけようというモダニズムの野心に、「リズム」が正面から意義を申し立てたのである。

 

夢における視覚の二重性。夢を見る者は、自分自身の夢のスクリーンの中に登場すると同時に、その夢に登場している自分をスクリーンの外側から眺めるのである。たとえば、エルンスト『カルメル修道会に入ろうとしたある少女の夢』。

 

リオタール『言説、形象』。イメージ(すなわち、縁どられた対象)という「見られる」秩序の下に、そしてゲシュタルトという「可視的だが見られない」秩序(すなわち、対象を可視化する可能性の形式的条件とでも呼べるもの)の下に、「不可視なもの」の秩序が横たわっている、という問題を自らに課した。

※リオタールは、この「不可視なもの」を「マトリクス」と名づけている。

 

マトリクスは無意識に属しており、抑圧の背後で不可視的に作動する一次過程の形式である。そのため、防衛を経て形成された幻想だけが、可視的なものの領域に浮上しうる。したがってマトリクスは、幻想がもたらす形象化にもとづいてしか、推測したり、再校正したりすることができない。(p.90.)

 

[……]マトリクスの不可視性は、まさにマトリクスの作り出す変化、その構成部分の恒常的な非同一性によって保証されている。しかし、マトリクスが生み出すのは強迫観念的な幻想であるから、反復のたびに同一のものが回帰するのも事実である。(p.93)

 

アニメーション台のページをめくるたびに、一つの静止した形態をゆっくりずらしていけば、その形態が分解されて、どんどん姿を変えていく。これは、微妙に異なる無数のヴァリエーションを作り出す機械的プロセスであり、そのヴァリエーションを映写したり、よく見かけるパラパラ漫画のようにページをめくったりすれば、それが突然動き始める。こんなことは、ビートを作り出すだけであって、一つの主題に基づくヴァリエーションを創造的に生み出していくとされる「高級芸術」とは、およそかけ離れていると思われるかもしれない。(p.95.)

 

ピカソのpeintureと先行する巨匠たち。たとえば、ドラクロワ『アルガーの女たち』、ヴェラスケス『侍女たち』、マネ『草上の昼食』。

 

ピカソに、自力ではもはや思いつけないような構図上のアイディアを与えたかを知ることだけでなく、巨匠たちの絵が一体どのような絵画制作法の枠組みとして働いたのか、それを理解することが重要。(p.98.)

 

重ねられた習作は、さながらアニメーション、パラパラマンガのような「パルス」を備えている。

 

ピカソが言うには、自分にとって興味があったのは、「絵画の動き、イメージからイメージへとぐいぐい押されていく躍動感だった。それが結末に至るかどうかは問題ではない。[……]思考の動きが、自分の考えている中身よりも面白くなるような地点に、私は達したのだ。」(Marie-Laure Bernadac, « Picasso, 1953-1973 :La peinture comme modèle, » in Le dernier PicassoParis : Musée National d’Art Moderne, 1988, p.49.)

 

「他の画家はたった一枚の絵に百日かけるかもしれないが、私は数日のうちに百枚のスケッチを描く。続けて描くことによって、私は窓を開けようとする。私はキャンバスを突き抜けるのだ。おそらくそこで、何かが起こる。」(Roland Penrose, Picasso, Paris, Flammarion, 1996, p.47.)